このお手紙で、母上様の心をなぐさめたいのです
4月19日。
奄美王国の支援団体である日本郵政グループのみなさんと、参加企業の一部へご挨拶に伺い、夜、ささやかな懇親会があった。
たまたま、教材映画の話になった。
郷土教材映画「愛加那 〜 浜昼顔のごとく」の出演者は(インタビュー出演者以外は)すべて奄美大島在住のボランティアのみなさんだ。なかには、郵便局の職員さんもいる。
印象的なエピソードを紹介して欲しいという事になった。私は迷わず「西郷菊次郎から母・愛加那への手紙」を紹介した。
まだ、前島密によって整えられた郵便制度が全国に普及していない頃の話だ。
意訳すると、次のような手紙だ。
(西郷隆盛全集より)
「母上様と別れて、もう11年になります。私が島を離れたのは9歳の6月でした。私たちは、なに不自由ない生活をしていますが、母上様はいかがお暮らしかと。
もう鶏が鳴いています。そろそろ寝ようと思います。うまくお伝えできませんが、このお手紙で母上様の心をなぐさめたいのです。」
まだ郵便制度が普及していない頃、菊次郎は人に託して、この手紙を母へ届けた。
150年ほど前、この島々で織りなされた人間模様。
菊次郎の父・西郷隆盛は、沖永良部での苦しい流人生活を過ごしているとき、得藤長(奄美大島の友人)へ次のような手紙を送っている。
「(人生50年の時代に)35歳と年をとりすぎたためだろうか、今度の遠島はこたえたようで、気が弱くなったようだ。(奄美大島で暮らす)子ども達が思い出されてならないのだ。」
この手紙もまた、人に託して届けられた。得藤永宛だが、実際のところは、愛加那や子ども達へ向けられたメッセージだ。
想いを伝えること。
今も昔も、手紙が心に残るということ。
地方の郵便局のみなさん。
運ぶ荷物や手紙のなかに、人々の気持ちが詰まっている。民営化もあってご苦労も多いと思うけれども、これからも頑張ってほしい。
奄美王国の支援団体である日本郵政グループのみなさんと、参加企業の一部へご挨拶に伺い、夜、ささやかな懇親会があった。
たまたま、教材映画の話になった。
郷土教材映画「愛加那 〜 浜昼顔のごとく」の出演者は(インタビュー出演者以外は)すべて奄美大島在住のボランティアのみなさんだ。なかには、郵便局の職員さんもいる。
印象的なエピソードを紹介して欲しいという事になった。私は迷わず「西郷菊次郎から母・愛加那への手紙」を紹介した。
まだ、前島密によって整えられた郵便制度が全国に普及していない頃の話だ。
意訳すると、次のような手紙だ。
(西郷隆盛全集より)
「母上様と別れて、もう11年になります。私が島を離れたのは9歳の6月でした。私たちは、なに不自由ない生活をしていますが、母上様はいかがお暮らしかと。
もう鶏が鳴いています。そろそろ寝ようと思います。うまくお伝えできませんが、このお手紙で母上様の心をなぐさめたいのです。」
まだ郵便制度が普及していない頃、菊次郎は人に託して、この手紙を母へ届けた。
150年ほど前、この島々で織りなされた人間模様。
菊次郎の父・西郷隆盛は、沖永良部での苦しい流人生活を過ごしているとき、得藤長(奄美大島の友人)へ次のような手紙を送っている。
「(人生50年の時代に)35歳と年をとりすぎたためだろうか、今度の遠島はこたえたようで、気が弱くなったようだ。(奄美大島で暮らす)子ども達が思い出されてならないのだ。」
この手紙もまた、人に託して届けられた。得藤永宛だが、実際のところは、愛加那や子ども達へ向けられたメッセージだ。
想いを伝えること。
今も昔も、手紙が心に残るということ。
地方の郵便局のみなさん。
運ぶ荷物や手紙のなかに、人々の気持ちが詰まっている。民営化もあってご苦労も多いと思うけれども、これからも頑張ってほしい。






