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2005年07月の記事一覧
安里さんとは、何度かお会いしていますが、週明けにまた、お会いできます。安里さんは有名人ですから、せっかくお会いできても、なかなかお話をする時間が取れません。必ず誰かが、横からさらっていっちゃいます。
オフィスかりさら
安里香織さんの紹介記事
っと、久しぶりにホームページをみたら、ブログを開設していますね(^○^)
「オフィスかりさら」さんは、主にWEB制作を専門に事業展開されています。在宅スタッフで100名ほどいらっしゃるのかな。女性が始めた会社です。
安里さんは、前向きで、明るくて、楽しい方ですよ。
私の大好きな方です。
組織について一言。
明確かつ焦点のはっきりした共通の使命だけが、組織を一体とし、成果をあげさせる。
これからも学んでくださいね(^○^)
月曜、楽しみにしています!
本日、待ち焦がれていた屋宮先生にお会いできました。
波長があうというか、思考が同じ道筋をたどるので、先生がお話になること(伝えたいこと)が、その先まで、びりびりと感じました(^○^)
エキサイティングでした。
奄美大島に、このような人物がいらっしゃるという事。
たまらないですよね。
どのように表現すれば、良いでしょうか。
たとえば、ロビンソン・クルーソーのように無人島に居て、あるとき、近くを航行する船の煙を見かけたようなもの。といえば、おおげさかな。
自分を隠さない勇気。
そこにたどり着くまでの葛藤。
そして、明日を目指していくこと。
う〜ん。
これから構想を練りましょう。
夢を語りたいものです!
本日、Be-Stockの中原さんから連絡を頂きました。
かごしま産業支援センターでの、中原さんのセミナーで、@やっちやばを紹介したいとの事でした(^○^)
有難いかぎりです。
ぜひ、やってくださいとお伝えしました。
お電話で、中原さまの郷里に対するお気持ちが、ひしひしと伝わってきましたので、私も気持ちよかったです。鹿児島はさまざまな特産品がありますから、ネット販売も、かならずうまくいくと思います。問題は、ネット分野の人材育成だけです。頑張って欲しいものです!
明日、公認会計士の屋宮久光先生とお会いすることになりました。屋宮先生は、私、かねてから、お話したい方の一人でしたので、なんだか今からそわそわしています(^○^)
屋宮先生は、奄美の企業経営者に対して啓蒙活動をされています。すこし、脱線させてくださいね。奄美地域は、島嶼地域では沖縄に次ぐ経済規模を持っています。しかし、県ではありません。(現在の都道府県制とは異なりますが、明治初期には奄美県の設置が中堅官僚の構想でありました)
地元住民の経済レベルは、ほぼ沖縄県と同レベルでしょう。ただし、沖縄は県であり、さまざまな面で、奄美以上に恵まれています。(=沖縄が、奄美より恵まれているという意味ではなくて、沖縄のほうが、豊かになるために努力しているという意味です)
奄美地域は零細な企業が多いです。家計と経営との分離さえはかれていないケースがほとんどです。このような地域で、屋宮先生は孤軍奮闘しています。
私が敬愛する前田幸俊さん(社労士)も、雇用環境の改善とともに、企業経営のあり方をせつせつと訴えています。
このような方々に、思う存分、活躍して頂きたいものです。
私にとっての経営とは、財務に疎いからでしょうが、「いかに儲けるか」ではありません。「いかに存続なさしめるか」です。
一つのビジョンがあった。
そのビジョンに従って、多くの方々が関係するようになる。
私には、これだけです。
この関係を維持し、発展させ、継承していくこと。
ビジョンはどこから生まれるのか。
そのビジョンに「よこしまな」気持ちはないか。
ビジョンに従って行動しているか。
「一人前の企業になろう。」
まだ、その途中ですが、この気持ちは、いささかも揺らいでいません。
21世紀。
零細な中小企業であれ、上場企業であれ、そこで働くスタッフは地位や肩書きではなく、ビジョンに拠って。そして、それぞれの「人間力」によって、社会に貢献し、社会から評価される時代ではないでしょうか。少なくとも、企業名や職業で、評価される時代は過ぎ去ったように感じています。
21世紀。
一人ひとりの向上心によって、場所を問わず、年齢を問わず、資力や肩書きによらず、活躍できる時代かもしれません。
ドラッカーが60年前に世に問うた処女作「経済人の終わり」の中でも、彼の思想の原点が垣間見られます。「社会」そのものを見て、その上で、夢見ています。
「社会の変化に対して、急速に自らを変化させるものは、機会に出会う。」
いつまでも、自らを変化させる自分で在りたいものです。
明日は楽しみです。
先日(7月4日)から、駒澤大学須山研究室のみなさんが奄美大島に来島されて、さまざまな分野の現地調査を行っていましたが、昨日(7月8日)に全調査を終え、みなさま、帰京されました。須山先生とのご縁もあって、私もご協力させて頂きました。
7月7日の夜、ささやかな懇親会が催されましたが、その席で、農業チームのリーダーから、次のような言葉を頂きました。
「奄美の果樹農業を調査するにあたって、当初は地域振興にまで踏み込んで調査をするつもりでしたが、農家さんたちの現実を目の当たりにして、農業の内包する困難さを強く感じました。」
う〜ん(^○^)
私は、彼女たちにドラッカーの言葉を伝えました。
「機会は、それに値する者の扉だけを叩く」
違う折に、奄美の柑橘指導の第一人者、大海さんが、彼女たちに次のような言葉を伝えていました。
「技術者(研究者)は、一生を技術者として枯れなさい(全うしなさい)」
奄美群島が日本に復帰してからの、この50年。
奄美群島振興開発特別措置法によって、さまざまな振興が図られました。そして、いまの奄美があります。
いまの奄美の課題を、すべて引き受けて、理論化する(提言する)ことなんて、とてもできません。それをやり続けた結果の現在なのです。
しかし、領域を絞ることで、その分野の光だけなら見えてくるかもしれません。その光が次々と周辺を照らし始めたら、しめたものです。
まずは、一点突破。
そこから次を考えて頂ければと思います。
その上で、技術者(研究者)は強気の見通しでなければなりません。台風は天災ではなく人災だと言い切ること。これって、大切なことです。人間は、志が折れないかぎり、困難に立ち向かえるものです。
調査報告、楽しみに待っていますね。