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2007年10月の記事一覧

2007年10月07日

まだ終わっちゃいない。最後のゴングがなるまで立っていられたら、俺は人生の王者なんだ

 今から20年も前。
 僕は新聞配達をしていた。中学校3年間、毎朝、続けた。新聞の休刊日は月に1度。大晦日まで頑張れば、お正月の3日間はゆっくり寝坊できた。

 雨が降る朝は大変だったけれど、晴れた夏の朝は心地よかった。早起きをしているおじさんたちに挨拶をしながら、新聞を手渡しすると、なぜか自分が大切な存在だと感じたものだ。

 労働の対価で得られる新聞配達のお金で、ウォークマンを買った。いつも聞いていたのは、カセットテープで2500円で売られていた映画「ロッキー」のサウンド・トラック。

 ロッキーは、人生の底辺を生きていた。30歳。何一つ誇りにできるものなどなく、唯一、ボクシングを「する」ことに情熱をぶつけていた。学はなかったけれど、言葉も上手ではなかったけれど、正しい生き方をしようともがいていた。

 やがて恋に落ち、そして、人生の転機を迎える。唯一の、そして最大のチャンスを得る。王座選手権試合に抜擢された。

 ゴキブリの巣窟のような住まいに暮らし、人々に馬鹿にされ、自暴自棄にもなった。でも、正しい生き方を、心のどこかで求めていた。

 勝ちなど考えてなかった。勝てるはずがなかった。あまりにも敵は強大だった。

 試合が終わるまで、最後まで立ってられたら、「俺は人生のチャンピオンなんだ」。そんなふうに、ロッキーはつぶやいた。


 「ロッキー・ザ・ファイナル」のDVDを買った。その隣に、懐かしい「ロッキー」のサウンドトラックのCDが置いてあった。迷わずに買った。

 懐かしいメロディが、記憶を呼び戻してくる。あのおじさんは去年亡くなった。あの橋も新しいものに立て替えられた。あの商店も店じまいした。でも、僕の心の中で、いまも生き続けている。

 S・スタローン自身、人生を賭けた映画だった。暮らしのために、恥ずかしい仕事もした。だが、ロッキーだけはゆずれなかった。3日で書き上げた脚本を、誇りを持ち続けた。ビル・コンティも、優しく、心躍る曲を書き上げた。


 教育映画を企画し、やっとここまでたどり着いた。

 映像を担当する屋田賀史さんも、わずか4ヶ月で、ここまでやれると思っていただろうか。4ヶ月前、彼は人生を悩んでいた。先の見えない暮らしの中で、いつか、世に出ようとあがいていた。

 いま、ロッキーのように、彼は人生を賭けて、人生を切り開くべく邁進している。きっと最後のゴングがなるとき、彼は立っている。そのために苦しい努力を怠っていない。

 限られた予算のなか、みなが手弁当でこの映画をモノにしようとしている。またとない素晴らしい出演者も得た。

 もう僕には、完成試写会で、鳴り止まない拍手が聞こえてくる。中には泣き出す方もいるだろう。ただの教育映画ではない。想いを伝える物語なのだ。


 奄美の映像クリエイターになる

2007年10月06日

もう帰る場所はないと覚悟を決めたからこそ、肚に響いたあの歌

 9月25日。

 ついに稲盛和夫先生が奄美大島にお越しになった。念願の講演会が開かれた龍郷町りゅうゆう館には1200名もの人々が集まり、稲盛先生の一言一句を聞き逃すまいと、みなの想いが一人、先生へ向かっていた。

 あの日から2週間が過ぎようとしている。

 この2週間。
 講演会の実行委員として、会場の設営、会場警備、会場撤去を行った。汗だくになって懸命に作業をした。教育映画の取材で稲盛先生へインタビューをさせて頂いた。この経験は私にとって、大きな糧になったとしみじみと思う。

 通信販売事業として奄美王国を広報周知できる段階に入った。奄美王国は地元新聞、ブロック紙でも好意的な記事にして頂いた。奄美王国の事務局長として、私は新聞記者さんへ奄美王国の夢を誠意を持って語った。奄美テレビさんは1時間30分にも及ぶインタビューを実施してくれた。

 奄美王国の始動にあわせて、住み慣れたPCルームを撤去し、いま、私は@やっちやば2階起業支援施設を作業場としている。

 住み慣れたPCルームを撤去する際、タバコで黄色く変色した壁紙をみていると、さまざまな想いが去来した。このPCルームで一人涙を流し、笑顔が溢れ、将来を悲嘆したことも、夢に心を躍らせたこともあった。

 いま、アットマークやっちゃばのIT事業部は5人体制となり、今月にはもう1名。年内、遅くとも来年2月には8人体制となる。奄美の果物専門店として頑張る店頭の体制も整い、いつのまにか@やっちやばは20人が働く場所となった。

 奄美群島広域事務組合による「奄美ミュージアム推進会議」で、わたしは今年もブランド部会長に押された。来年度以降にむけて、ブランド部会では、民間事業でスタートした奄美王国が、やがては奄美の島々にキーパーソンを配し、拠点を持つ「奄美群島特産品公社」の設立に向けて、協議を始めたところだ。

 今日も奄美王国の受注センター設置のために、ビジネスフォンの工事をして頂いている。奄美王国@やっちやばで働く20代のみなさんの若さが、今日もはちきれんばかりのエネルギーを放っている。

 さあ、これからだ。

 明日は息子・真守の運動会。残念ながら、運動会にはいけないが、思いっきり活躍して欲しい。

 私がふたたび、このシマで暮らすようになって、もう10年になる。

 この10年。
 最愛の祖父を亡くし、新しい家族を得た。
 いままた、新しい生命が家内の中に宿っている。

 私の生きる意味は何なのか。
 きっと今を乗り越えたら、はっきりと言葉にできるだろう。


 もう帰る場所はない。
 誰かが助けてくれるものでもない。
 人生は、みずからの力で勝ち取るしかない。
 

 9月25日の夜。
 講演会が済んだ後、稲盛先生を囲んでの歓迎会が開かれた。私は汗だくになってビールを運びながら、歓迎会の進行を応援した。

 会の締めくくりに、稲盛先生の希望で、みんなで「ふるさと」を唄った。無性に泣けてきた。涙か汗か分からないほど、想いが伝わってきた。ここが、このシマが、私の故郷だ。


 うさぎ追いし かの山。
 こぶな釣りし かの川。
 夢は 今もめぐりて
 忘れがたき ふるさと。

 いかにいます 父母。
 つつがなしや 友がき。
 雨に 風に つけても
 思い出ずる ふるさと。

 志を 果たして
 いつの日にか 帰らん。
 山は青き ふるさと。
 水は清き ふるさと。