昨年の10月。
義理の弟でもある山元隆広君から相談を受けました。
「僕はどうしたらいいのでしょうか」
2006年の大島紬業界は試練の時を迎えていました。大手全国呉服チェーンの相次ぐ倒産等によって販路が激減し、奄美大島で細々と経営をしてきた紬業者は、かつてない苦境に立たされていました。
たしかに今までも伝統産業である大島紬は好不況の波にもまれながらも存続してきましたが、昨年から始まった苦境は、個々の経営の問題だけではなく、構造的な問題だけではなく、大島紬自体が次代に生き残れるかどうかという存続の危機のように感じています。
数少ない、若手の紬後継者たちも続々と転職を余儀なくされる中で山元君もまた、もがき、苦しんでいました。
31歳。待望の子供が生まれたばかり。
可愛い赤ちゃんには「リズム」という名をつけました。山元くんは島唄をベースとした音楽活動も精力的に行っており、いつか産まれるだろう子供のために「リズム」という曲を作っていました。
「僕はどうしたらいいのでしょうか」
その問いに対する答えは、私の中にはありません。答えは、山元くんの心の中にあるのですから、一緒に、一生懸命、その答えを探しました。
そして、たどり着いた答えが「泥染めが好きでたまらない」でした。言外には「だから、続けさせて欲しい」という願いと「最後まで挑戦する」という願いを含んでいます。
魂から発したこの言葉を携えて、山元くんの挑戦が始まりました。手元にある商品は泥染めネクタイが40本だけ。
「泥染めが好きでたまらない」というキャッチフレーズで、大急ぎでダイレクトメールを作り、友人・知人・お得意先へ送付。祈るような時を過ごしましたが、結果はあっという間に完売し、追加注文が続々と入りました。
もちろん、このDMだけで全てがうまくいった訳ではありません。その後、金融機関との交渉や新たな得意先の開拓、泥染め体験のアピールなど、出来る事は遮二無二、挑戦しました。
私が電脳行商人だとすれば、山元君は行商人そのもの。運転資金の融資をお願いに行った金融機関先で、職員さんたちに泥染めネクタイを販売したり、自治体の休み時間にネクタイの販売をしたり、とにかく必死でした。
結果として、あの苦境から半年が過ぎましたが、山元くんの努力は少しずつ形となってきています。先月は雑誌「島へ」で、今月は「週刊ヤングジャンプ」で掲載されました。この半年間の、彼の快進撃は人々の心を晴れやかにするほど、颯爽としています。
依存心を排し、自助自立の精神で生きていくこと。
たとえ規模は小さくても、彼の精神こそは、奄美の紬業界に光をもたらすものだと感じています。
幾たびか辛酸を経て 志 始めて堅し。
逆境や苦難こそが人を育てるもの。試練のない人生などあり得ないもの。
彼にとって、生涯最大の苦境は、彼を大きく飛躍させようとしています。そして、その先に待ち受けているもの。
きっと「奄美でもできる」「奄美だからこそできる」という言葉の答えではないでしょうか。
・山元隆広君のブログ
本場奄美泥染 TEBA BROWN