黄色いダイヤモンドと呼ばれた奄美びわ
10年ぐらい昔。
私たちがインターネットで奄美びわを販売し始めていた頃。あの頃は、夏の完熟マンゴーはほとんどなく、タンカンが一段落すると、まもなく奄美びわの季節を迎えたものだった。
どんな果物にも流行りすたりがある。
いま、奄美の島々では、ビワはほとんど栽培されていない。でも、たしかに10年ほど前、まだビワを栽培している方々がいた。
どれぐらい前だろうか。
あてにならない記憶の中でいえるのは、私が冷蔵庫兼事務所(コンパネをしいたパソコン台)で作業をしているとき、ビワ農家さんがビワを運んでくれていた。隣には農家さんの、中学生ぐらいの娘さんが懸命に荷下ろしを手伝っていた。
ビワ農家さんは「やっちやばさんがビワを仕入れてくれるから、来年もビワを作れる」そんな言葉を伝えてくれた。嬉しかった。
今とは違い、当時は取り扱い量も少なかったけれども、私たちは志を持っていた。将来を夢見ていた。時に背伸びをすることもあったが、いつだって前向きな気持ちで挑戦していた。
奄美びわへの想い。
まるで初恋のような感覚になる。振り返ってみると、切なくて、楽しくて、甘くて、どうにもならないもどかしさがある。
ひとつだけ言えることは、あの時は真剣だった。奄美びわを頑張れば頑張るだけ、道は拓けると思っていた。
どんな果物にも流行がある。
いくら好きだといっても、その作物で生計を立てられなければ、続くものではない。他の作物に切り替えることで農業経営が安定するのなら、ほとんどの人が、その道を選ぶものだ。
あの時、ビワの荷下ろしを手伝っていた娘さんは、もう立派な大人になったことだろう。毎年、春を迎えるとき、彼女は黄色いダイヤモンドを思い出すだろうか。
私には千糸の髪がある。
墨よりも黒い。
私には一片の心がある。
雪よりも白い。
髪は断ち切ることができても、
心は断ち切れることはできない。
(代表的日本人・内村鑑三 〜 西郷南洲)
私たちがインターネットで奄美びわを販売し始めていた頃。あの頃は、夏の完熟マンゴーはほとんどなく、タンカンが一段落すると、まもなく奄美びわの季節を迎えたものだった。
どんな果物にも流行りすたりがある。
いま、奄美の島々では、ビワはほとんど栽培されていない。でも、たしかに10年ほど前、まだビワを栽培している方々がいた。
どれぐらい前だろうか。
あてにならない記憶の中でいえるのは、私が冷蔵庫兼事務所(コンパネをしいたパソコン台)で作業をしているとき、ビワ農家さんがビワを運んでくれていた。隣には農家さんの、中学生ぐらいの娘さんが懸命に荷下ろしを手伝っていた。
ビワ農家さんは「やっちやばさんがビワを仕入れてくれるから、来年もビワを作れる」そんな言葉を伝えてくれた。嬉しかった。
今とは違い、当時は取り扱い量も少なかったけれども、私たちは志を持っていた。将来を夢見ていた。時に背伸びをすることもあったが、いつだって前向きな気持ちで挑戦していた。
奄美びわへの想い。
まるで初恋のような感覚になる。振り返ってみると、切なくて、楽しくて、甘くて、どうにもならないもどかしさがある。
ひとつだけ言えることは、あの時は真剣だった。奄美びわを頑張れば頑張るだけ、道は拓けると思っていた。
どんな果物にも流行がある。
いくら好きだといっても、その作物で生計を立てられなければ、続くものではない。他の作物に切り替えることで農業経営が安定するのなら、ほとんどの人が、その道を選ぶものだ。
あの時、ビワの荷下ろしを手伝っていた娘さんは、もう立派な大人になったことだろう。毎年、春を迎えるとき、彼女は黄色いダイヤモンドを思い出すだろうか。
私には千糸の髪がある。
墨よりも黒い。
私には一片の心がある。
雪よりも白い。
髪は断ち切ることができても、
心は断ち切れることはできない。
(代表的日本人・内村鑑三 〜 西郷南洲)





